2006年7月16日日曜日

”お隣さん”

私は”他人は他人、自分は自分。他人にどう評価されようとあまり気にしない。自分にとっての評価は以前の自分と比べて成長したかどうか。他人と比べたところで何の意味もない”、そういった考えを持っているつもりです。
だからといって、他人との関わりを断ち切りたい、そんなことは微塵も思っていません。むしろ他人とは繋がっていたい。
人は独りでは生きられない。かといって他人に頼りすぎるのも良くはない。その距離感というのはすごくシビアだと思う。
私はしょっちゅう、”バランス”という言葉を使う。都合のいい言葉だと思う。でも、それ以外ちょうどいい言葉が思いつかない・・・。”バランスが大事”、そんなことはきっと誰だって分かっている。問題はそのバランスがどうやったらうまく取れるのか、そこなんだよな。でもそれをうまく表現することってなかなか難しい。
人によっては、あまり構われるのを好まない人もいる。逆に放っておかれる事なんてとても嫌だ、いつだって側にいて欲しい、そう思う人もいる。だから一概に「このくらいの距離を取れ」とは言えない。
だからこそ、人付き合いは難しく、また面白い、そう言えるのかな。
最近はSNSが盛んで、様々なジャンルのSNSが登場している。mixiなんかは方向性をあまり絞っていないけれど、料理のレシピSNS、子育てSNS、音楽SNS、さらには家計SNSなんてものも。
近年、地域での人付き合いが希薄になった、そう言われるし、実際そう感じる。じゃあ、すなわち人とのふれあいが少なくなった、そういえるのだろうか。私は「ノー」だと思う。人付き合いの形態が変わったのだ。
そう、今や”お隣さん”は家のお隣さんを指すのではなく、SNSなどでの”お友達”を指すのだろう、と。みんな人との繋がりを保っていたいと思うのは今も昔もそう変わらないんじゃないだろうか。
地域での井戸端会議なんかにはほとんど参加しないけれど、SNSでのオフ会には参加する、そんな人もいるかも知れない。方向性がある程度絞られたSNSなんかをやってると、同じような趣味や悩みを持つ人が集まっているので自然と会話も弾む。
地域では人付き合いが薄くて相手が何を考え何が好みで何を嫌っているのかなんてよく分からない。それに対して目的や好き嫌いの似通った集まりならそんな心配もない。だからこそ気軽にあって話が出来る、そういう側面もあるんじゃないだろうか。
でも、そうすると”自分の苦手なタイプ”とは極力接触を裂けるようになってしまう。そうすると自分と少しでも違う要素を持つ人間を排除してしまう危険性を孕んでいる。それが今の世の中なのかな、そう感じていたり。
SNSブームで自分と同じようなタイプの人間との繋がりを作りやすくなった。その反面、自分が苦手なタイプとの関わりは避けるようになり、結局活動範囲を狭めてしまっている。
苦手なタイプと無理に付き合うことが解決策とは思わないけれど、全力で避け続けていては外に出られない。一体どうするのがよいのだろうね? 
やっぱり、地域の繋がりって大事だと思う。かといって自分が何か地域の催し事に積極的に参加してきたかと言えばそんなことはないんだよね・・・。なんで参加しなかったのか。ちょっと気恥ずかしいって言うのがあった。子供の頃は大人と話すのが怖かったのだ。人見知り気味だったしなぁ。でも参加したらそれはそれで楽しかった。
今の子供達は大人をどう思ってるんだろうかなぁ。なんかのアンケートで、高校生から見た大人の姿は”理不尽を感じる”だったそうです。
けど、そう答えた高校生達は、自分たちをどう見ているか、あるいはどう見られているかって事を考えたことはあるのかなぁ。子供も結構理不尽な事いっぱい言ってるんだけれどね、私が子供の頃も含めて。
綺麗事だけでは生きられない、けれど”何をしたっていい”ってなってしまえば世の中崩壊。人と人との繋がりあいって、ほんとシビアなところで成り立ってるんだなぁとよく思う。
この先、この世の中はどのような方向に向かっていくんだろうねぇ・・・。
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