プログラムを組んでいたりするとよく思うこと。
人間ってほんっとよく出来てるよなぁ・・・。
コンピュータの進化はめざましい。演算能力は桁違いに跳ね上がり、描画能力もムーアの法則様々で向上。記憶媒体の進化は末恐ろしいものがある。
けどその一方で、人間にとってさほど難しくはないことをコンピュータにさせようとしてもなかなかうまくいかないのも事実。
コンピュータは与えられた仕事をこなすのは得意。順序バラバラになってる住所録を名前順でソートしろと言われたら即座にやってくれる。それこそ人間が手作業で出来ない量を瞬く間に片付けてくれる。
けれど、それはあくまでフォーマットに則ったデータのみ。それこそ無秩序に与えられたデータを揃えろと言うのは無理な話。
例えば、名前だけが与えられて、それを男女に仕分けろと言われても、コンピュータは仕分けるための基準を与えないといけない。人間が曖昧にしている部分をコンピュータは厳密に要求してくる。そういう仕組みになっているのだから仕方がないのだけれど^^;
人工知能ってのはやっぱ不可能なんじゃなかろうか、そんな風に思う。人間は間違う生き物で、コンピュータは間違いが許容されない物。コンピュータは与えられた仕事を知りうる術でもって処理する道具であって、新たな術を見いだすことが出来る訳じゃない。
新たな術を見いださせようとするなら、それこそ今のコンピュータ技術を根底から覆すような理論が必要なんだと思う。人間は忘れる生き物。コンピュータは忘れることが許容されない物。忘れることを許容するなら、その優先順位をこれまたプログラミングしなきゃいけない。それが正しいかどうかも判断する必要がある。どこまでいっても止められない。
そう考えると人間の記憶ってのは不思議なもんだ。記憶は色褪せていって、しまいには思い出すこともなく忘れ去ってしまうことも多々あるけれど、ふとしたときに思い出したり。あるいは、忘れ掛かっている、もやの掛かった記憶が、ふとしたきっかけで鮮明に思い出せたり。記憶の補完とでも言うのか、こんなことはコンピュータには不可能だろうな。
そもそも、人間の記憶は完全じゃない。細部まで思い出せている訳じゃないけれど、それは些末な問題。ある程度(それはうまく説明出来ないけど)思い出せていればそれで十分という場面はよくあるものだ。
しかし、なんで消えかかった記憶がふとしたきっかけで蘇るのかが不思議だ。やっぱあれかな、アーキタイプとかアカシックレコードなんて言われる源流が存在するのかしらね、類人猿の根底に。記憶や精神はそこに繋がってて、みんな共有してて、ふとしたきっかけでそこから汲み上げてくることが出来る・・・、となるとまぁ随分とぶっ飛んだファンタジーなお話になっちゃうけど、他の人の記憶に触れるコトって言うのは存外難しいコトじゃないんだよね。
図書館に行けば昔のお偉いさんの学説に触れることが出来て、インターネットを使えばオンラインでリアルタイムに他人の考えに触れることすら出来る。私達はそのインデックスを脳に持っているに過ぎないのかも知れない。
最近ではコンピュータもネットワークに接続されているのが当たり前になってきてて、いかにネットワーク上のデータをうまく扱うかが焦点になってきていると思う。ローカルのデータとネットワーク上のデータをうまく扱う技術ってのが今後のトレンドなんだろうな。Googleデスクトップなんかがいい例じゃないかしら。なんか検索したいときに、ローカルとネットワーク上のデータをいっしょくたで検索出来る。ローカルとネットワーク上の垣根をなくそうとしてるのかな。コンピュータがネットワークに参加するなら、自分の知らないことを他のコンピュータに尋ねたっていいと思う。実際、P2Pの技術を応用して、自分の知らない検索結果を他のクライアントから取得して検索ヒット率の向上を目指す検索エンジン(システム?)も存在してるし、今後P2Pはもっともっと研究が進むんだと思う。
そうなると、コンピュータが人間のように新たな手法や処理術を提案してくる時代が来るのだろうか? いややっぱ来ないんだと思う。どっかにある術を調べてきて利用するくらいにはなるだろうけど、零から何かを作り出すだけの能力は持ち得ないんじゃないかな。人間がハネを持たないように、コンピュータも頭脳は持たない・・・、なんてのは将来”妄言”と言われてしまうのかしらw
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こちらにも遊びに来ていただけてありがたいです^^
記憶容量という点ではコンピュータは数TBなんてのもざらですが、その分検索は遅くなっちゃうんですよね。
それにしても人間が記憶の中から引っ張ってくる作業ってどうやってるんでしょうねぇ。脳ってのは凄いもんだ。