2004年6月8日火曜日

暴走する低年齢化

いつも通りにズレた視点から考えてみる妄言
小学生が小学生を殺してしまう、ショッキングなニュースでしたね。段々とその内容が明らかにされて来ました。
加害者はネットの書き込みで被害者に容姿に関わることを書き込まれて殺意を抱いたそうですね。
これだけ聞くと、「はぁ、またネット社会における問題か、ネットに小さな頃から没頭するのはこれだから危険なんだよ…」なんて声が聞こえて来そうです。でも、ちょっとだけ待ってみて欲しいんです。この少女は(この少女の父親の話から)活発な少女だったようです。いわゆる、普通の女の子ですね。自分のHPを持っていて、ネットを使ったコミュニケーションも取っていたようです。
思春期の女の子にとって、容姿に関することはそれこそ死活問題だったのでしょう。
私達からすれば、小学生のときに多少太っていようとも標準体型であれば成長の段階ですらっとした体型に変わることを知っています。ですから、小学生のときの体型なんて、よほど太りすぎていない限りそれ程気にする必要は無いのですが、女の子は特に思春期が早くやって来ますので、やはり気になるのでしょうね。
そんな時期が重なってしまって、今回の事件が起きてしまったのではないかという気がします。
ネットでたまたま言われただけで、今回の殺人事件は他の要因でも起こり得たのではないかと思うのです。
今回の事件の本質は少女の「異常性」にあるのではなく、「普遍性」にあるのではないでしょうか?
加害者の少女については「ふつうの」と言う言葉が何度も使われたようです。また、人をどの様にしたら殺すことが出来るか、あるいはどの様にしたら人は死んでしまうかと言うことも分かっていたようです(はじめは絞殺やアイスピックなどで刺殺すことも考えていたようです)。どこにでもいる、普通の女の子。では、何が一体欠けていたのか。
それは「痛み」ではないでしょうか。ほんとうに痛みを知っている人は、ほんとうの意味での痛みを知っている人は、人を傷付けることを極度に嫌います。だって、その痛みを知っているのだから。
この加害者の少女はどうすれば人が死んでしまうかを知っていた。それに「痛み」がともなうことも知っていた。だけど、ほんとは知らなかった。そう、「殺人」が招くほんとうの「痛み」を知らなかったのです。
また、被害者の女の子もまた「痛み」を知らなかった。ネットと言う不特定多数の人が見る環境に置いて「思春期の女の子の容姿」に関して言及してしまったのだ。少なからず、そこにも原因があるはずなのに、こちらを追究する声は無いのは何故…?
犯罪の低年齢化がすすんでいます。少年、少女は私達が思っている程幼く無垢ではないのです。精神的にも、比較的大人びて来ています。ただ、その「大人びた」考え方はどこがうがった大人の考え方のような気がします。
子どもたちは小さな頃から習い事をさせられ、塾に通わされて息が詰まる思いをしているのかも知れません。私だって、毎日大学で勉強をしているのにつけくわえて習い事に「行かされた」なら、やっぱり音を上げます。学校で勉強して更に塾で勉強して…。
子供のときには外で思いっきり走りまわったりすることがとっても大事だと思うんです。友だちと触れ合うことで、色んなものを学び取れる。なのに、哀しいかな最近の子達はなかなかそれが出来ていないような気がします…。
長くなりすぎました、まとめきれそうにないのでこのあたりで締めます。纒まりの無い文章で済みません。
こんな事件が二度と起きないよう、しっかりとこの事件を受け止めて行きたいですね…。