イラクでの人質事件
こちらにコメントを下さったblack_wordさんの言葉です。
でも、「根本の知識」って、いったいどういうものなんだろう?とふと思ってしまったんです。
「根本の知識」に近い言葉で言うと、「常識」っていうのがありますよね(ひょっとして同じ意味かな)。 これだって、非常に曖昧なものですよね。私自身がしばしば体験するんですが、私に取って「常識」であることが、友人に取っては「常識」ではない、といったことです。
人間十人十色、千差万別と言うように個人々々で考えや知識が異なっているのは当然でしょう。
ましてや現代、情報化社会と言われるだけあって巷には種々様々な情報が飛び交っています。こんななか、共通の知識を共有することなんて、全員には無理なんじゃないでしょうか?
我々が情報を得るのは専らメディアが多い。しかし、そのメディアもなかなか全ての意見を反映して情報を発信できるわけでもない。つまり、様々な情報が発信される中、それを取捨選択する「眼」が必要なんだと思うんです。
それには、色んな人々との「会話」っていうものが必要なんじゃないでしょうか?
私は今二十代前半の大学生ですが、たった二十数年間の年月でも、やっぱり昔とは考え方が変わったな、と思うことが多々あります。
特に、バイトを始めた大学入学後は、高校時代までに比べて格段にものの考え方が変わったと自覚しています。バイトをすることで年の離れた人と触れ合い、時には意見をぶつけ合うこともありました。それにより、様々な人の意見を聞くことが出来ました。それは私にとって非常に貴重な財産となっています。
また、この「blog」でもコメントを下さる方々を始め様々な考えを持った方々と触れ合うことが出来ました。
実際に会って話すことも、こうやってテキストでの意見の交換も、どちらも私にとっては貴重な財産です。
こういう場が、今は必要なのではないでしょうか?
もちろん、こういう場での対話は各自に「話を聞く態度」が必要であり、「相手から何かを吸収しようとする心がけ」が必要になるとは思いますが。
ただ、個人的には、インターネットよりも会って話す機会を重んじて欲しいです。
とりとめなくかきたいこと by atuko-kさんの
メール<電話
で書かれておりますように、やはり実際に「声」を発することが大事なのだと思います(ここでの話題と上のリンクはかなり違っているのですが、紹介させて頂きました)。
もちろん、こういうblogなどでの触れ合いも非常に有益だと思います。
ただ、ネット社会全体で言うと、必ずしも有益とは言えないとは云わずもがなですよね。特にネット上では匿名性が高く、それゆえに凶暴性が増してしまう懸念もあるのです。
こう書くとネットを批判している立場になってしまいそうなのですが、こういった場でこそ、「根本の知識」が必要になって来るのではないでしょうか?
血の通った会話を、これからももっと交わして行きたいです。
もちろん、これを読んで下さっている、あなたとも。
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