2004年4月3日土曜日

叱ることの出来る人

教える側の心境
上の投稿でも触れましたが、私は今塾の講師のアルバイトをしている。アルバイトと言えど、生徒から見たら私は「先生」。社員の先生と、何ら変わらない。
昨年度の一年間、中学一年生のクラスを担当した。その校舎ではクラスを2つのレベルに分けており、私は下の方のクラスの担当だった。
そこで教えていて、痛烈に感じたことがある。
「叱る」ことの難しさである。
テキストの内容を教えるのは、こっちがしっかりと内容を把握しておけば、それほど難しくは無い。だって、中学一年生の内容なんですもの。分かってもらうためには努力が居るけど、そこは根気よく問題を何度も解いてもらったり、時には一人一人見て回って分かりにくそうな人には指導する。
ただ、クラスを持って最初の方はお互い緊張しているのであまり騒がしくないが、しばらくして慣れて来ると、どうしても騒がしくなって来る。これはいささかしょうがない部分もあると思う。みなさんも、小学校とか中学校のときに、ふとしたはずみでクラスが騒がしくなって、先生に怒鳴られた、なんて経験おありではないだろうか?
私は小柄でやせ型で気の強い方には見られないので(事実気は強くは無い)、段々騒がしくなって来てしまった。ここで、それでは授業が進まないのでこう注意する。
「は〜い、いいかな〜、説明するよ〜、静かにね〜。」
…きっとこれが失敗だった、今ではそう思っている。
あまり大きな声を出すこともなく、生ぬるい対応をしてしまったのだ。そうすると、きっと生徒はこう思うんだろう。
「あの先生、別に怖くもないし、そんなに怒らないじゃん」
こう思われてしまったが最後、なかなか静かにならない。あまりにうるさくなってきてしまったので、
「おい!聞けよ!静かに!」
と大声で叫んだら、ようやく静かに。
ただ、一人の生徒がぼそっと
「あ、先生キレた。」
と、とても無感動にこぼしたのを覚えている。そう、そんなもんなのだ。一度この人はこんな人だ、と認識されてしまうと、それをひっくりかえすのが凄く難しい。
それに、「叱る」ことそのものが難しいと思う。感情的になってそれをダイレクトにぶつけるのもいいとは思えないし、かといって静かにさせておくだけの迫力も私は持ち合わせていない。
だから、「叱る」ことのできる人、先生は実に素晴らしいと思う。
今は教師が生徒に手を上げるのはご法度だ、なんて風潮が流れてるけど、必ずしもそうではないと思う。
私は、小学生のときは間違ったことをしたときや約束を破ったときは父親や母親にぶたれた。いわゆるお尻ペンペンもされた。すごく痛くて、わんわん泣いた。でも、そこにはきちんとした「理由」があった。私が間違ったことをして、それがいけないことなんだ、それを理解させたい、そういう「理由」があった。そんな理屈は、小学生のときには分からなかったけど、でも「これはやっちゃいけないんだ」というコトだけはしっかり分かることが出来た。
中学校に上がってからは両親の考えから私は「一人の人間」として扱われていたので、意見がぶつかったときは一方的に叩かれるとか言うことは無く、話合い(という名の喧嘩ではあるが)で事を済ませた。
やっぱり、「これはしてはいけないんだ」と言うことをしっかりと理解させて上げる、これは必要なことだと思う。それに関して、多少手を上げることも必要だと思う。暴力は反対だ。でも、…うーん、うまく言えない。でも、子供にだって、その痛みが、謂れの無い暴力か、それともしっかりとした「しつけ」の痛みなのかは理解できると思う。
これは親だけではなく教師でもそうだと思う。体罰は反対だ。だけど、悪いことをするとぶたれる、これくらいは半ば当り前だと思う。特に、小さいときには必要だと思う。いわば、「トラウマ」にしろ、とでも言ったところか(これは言葉が悪いのだけれど)。
これはやってはいけないことなんだ、それをしっかりと理解させる、これが「しつけ」なんだと思う。だから、私は「叱る」ことの出来る人、先生は素晴らしいと思う。
私も、そういう人間になりたいし、なっていかなくてはならないと思っている。

4 件のコメント:

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    こんにちは。ブログの内容、とても大事な事だと感じます。
    叱る事も含めて「しつけ」は教育上必要な事だと思います。
    最近では、怒られる事に慣れてない子供が増えているそうです。
    それは、怒る大人が居ない、その大人自身も怒ることで
    嫌われる、仕返しがくる(数年前にあった親父狩りなど)と
    思っているのが理由だと何かで観ました。
    必要なことなのに、ないがしろにされているのが、
    こういう教育に関しての事と思ったりします。
    個人の問題だけでなく、地域社会、果てはこの国全体で
    考える問題なのかもしれません。
    すいません、ながながと書いてしまいました。
    問題を大きくしてしまった感じです。では

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    母親であり保育士でありますゆえ、叱ることの難しさを日々実感して
    おります。「相手は子供なんだからこのくらいにしといてやろう」
    なんてなめてかかると、必ずなめられますよね(笑)
    やっぱり問題は親かなぁ・・・ほんと叱らないですもん、最近の親は。
    叱るにしても「そんなことすると○○に怒られるよ」って人のせいにするだけ
    なので、子供たちは何が、どうしていけないのかわからない
    そのままオトナになってゆくんですよね。未来が不安です。

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    すっげぇ難しい話ですよね。
    確かに「しつけ」は必要だと思います。
    けれど家は俗に言う「亭主関白」で父親の独立政権が成り立っちゃってます。
    そして更に悪いことに、父親の「しつけ」は気分により変わってしまい時には謂れのないことで叩かれる事もしばしばありました。
    その結果私は少し人より斜めに物を考えるようになってしまいましたし、そんな人にはなりたくないと常々思っています。
    決して「しつけ」に痛みを伴うのは反対するつもりはないのですが、親を選べない子供には度の過ぎた「しつけ」は辛いですよね。
    なんだかまとめのない上に長文になってしまいすみませんでした

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    mikoさんこんばんは〜
    しつけの問題はほんとに難しいですよね…。
    子供も怒られることに慣れてないし、親も怒ることに慣れてない。
    今の世の中、なんでもマニュアル時代。
    でも、人間は千差万別で、「これ」と言ったマニュアルなんて存在しない。
    子をしつける親自身に、ガイドラインが見付けられてないんでしょうね。
    自分もいつか親となるでしょう。その立場になってみないと分からないことも多々あると思うんですよね。
    自分は、どんな親になるんだろう?

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